「いわゆるアンテナ(=情報感度)が高いと呼ばれている人は、特別な情報ソースを押さえている」という誤解があるような気がします。
もちろん本当に特別な情報(内部情報とか)を入手する機会というのもあるでしょうけれども、実は特別な情報なんてほとんどない(必要ない)ような気がします。「特別な情報を知っている=情報感度が高い」ではないわけですし。量の絶対的な多寡はあるのかもしれませんが、基本的にはみんな同じ情報、またはその気になれば誰もが得られる情報を見ていると思うのです。日本語ソースだけでも、そこそこいけるはずです。
言うまでもないことですが、情報感度が高いというのは「有名どころの誰々が何と言っている」情報を押さえていることではないですし、「たくさんの情報を集めている」や「とにかく早く情報をつかむ」ことでもありません(それはそれで必要な能力だと思いますが)。同じソースから何をつかむ能力こそ、情報感度の高さに密接に関係があるのではないでしょうか。
そのためには、
といったプロセスが必要とされるのでしょうけれども、ここを意識的/無意識的にできるかどうかが鍵となりそうです。まあ類似があると思い込んで失敗することもあるでしょうし、共通部分と独特の部分を正しく切り分けるのは難しかったりしますが。あ、もちろん「自分ができてるか?ってことはとりあえず棚上げ状態」で語っていますので、ご了承くださいませ(苦笑)
さて、このような知的活動をシステム的に支援できるようになれば、ITも一人前ではないかと最近は考えています。以前は入手できる情報量が増えて単純に喜んでいましたが、最近は情報量が増えすぎて手に負えないという問題ばかりが目立っています。しかし言うまでもないことですが、知的創造や意思決定の支援材料としては、より多くの情報を利用できるに越したことはないわけです(もちろん単純に情報を積み上げるよりも、利用する情報の質こそ問題ということは重々承知しています)。
データマイニングなどの技術も進展しているようですが、こうした知的活動を支援するための概念枠組みを考えることは、情報アーキテクチャの周辺課題にも間違いなく入っているのではないかと思います。できる範囲ではありますが、こうした問題についてはこれからも考えていきたいところです。