思考実験をしてみましょう。以下の文章をお読みください。
まあ良くある光景ですよね。一般的には、以下のような点を分析した材料を揃えることになるでしょうか。
もちろんその際に、「判断基準自体がおかしいのでは?」「自社の要求が不適切なのでは?」「A社の言い分をきちんと聞いているのか?」「B社の選定理由の根拠が薄弱なのでは?」「移行期間の問題想定が甘いのでは?」などなど各種様々な突っ込みが入る訳ですが、企業活動の現場では良くある話です。その種の突っ込みを無視して「とにかくA社はもうダメです!B社に購買先を変更しないと我が社は終わりです!」とか「一回B社にやらせてみて、ダメならA社に元に戻せば良いでしょう」なんて主張したところで、一笑に付されるのがオチです。それどころか、そのような主張をした人の実務能力が疑われる事態に発展することになるでしょう。これってビジネスパーソンとして当たり前の話ですよね?いやいや、一般的な社会常識としても当たり前の話ですよね?と言い換えましょう。
ところが、それが通用しない世界があるのです。それは何かというと...。
上記の「当たり前」が通用しない話とは、昨今の政権交代を巡る議論なのです(ちょっと考えれば、A社=自民党、B社=民主党というのは容易に推測できますよね)。ビジネスの世界では常識とされる論理的な思考行動が、自分の生活・ビジネスの現場に直接的な影響を与える投票行動に適用されないというのはどうしたことでしょうか?野党の政策を検討した訳でもないのに、政権交代を主張する。これは先の「とにかくA社はもうダメです!B社に購買先を変更しないと我が社は終わりです!」とか「一回B社にやらせてみて、ダメならA社に元に戻せば良いでしょう」とどのように違うのでしょうか?
特に絶望的な気分にさせられるのが、各種世論調査における40〜60歳台男性の民主党支持率の高さです。ビジネスの現場で意志決定を担っている立場の方が多いはずであるにも関わらず、この醜態はいったい何なのかと。逆に考えれば、(先のサブプライム問題をきっかけにした経済危機を除いても)日本経済がイマイチだというのは、この種の人達がマネジメント層に多いからだということも言えるのかもしれません。ビジネスパーソンとしての自分、生活者としての自分、有権者としての自分、それらを別々のものとして考えているからこのようなことになるのです。有権者としての自分の意志決定は他二者に影響しますし、他の面についても同様です。
結局のところ、すべては相互に関連している、という想像力・連想力が欠落しているのが一番の問題という訳で...(例:自動車生産現場の労働者を安価で雇用して、自動車の販売台数が増えないと嘆く)。先の「ダメなら元に...」思考など、どういう訳か自分だけは相互の関連から除外されているという都合の良い前提(自分は「ダメなら」の影響を受けない)に立っていて、頭が痛いです。もっと酷い人になると、「ここらで一度リセットが必要!」と言い出すのですが、リセットに伴う社会混乱から自分は除外されていると考えられる、そのお目出度い想像力がス・テ・キ。
さて時節柄生々しい政治話を例に挙げましたが、この種の話は情報設計という行為にも他人事ではないのです。情報設計においてよくある?問題として、地に足の付いていないビジネス書的な格好良い概念論で方針決定・実装を行ってしまい、実際の生活者の視点が抜けてしまうというものがあります。これも想像力・連想力の欠落であり、ユーザーや対象情報、コンテクストに対する想像力や連想力がもっとも求められる職能にとって、非常に恥ずべきことです。
できるだけたくさんの視点を持ち、それぞれの視点から相互に現象・事物を分析できるようになりたいものです。と、ここまで書きながら顔が恥ずかしさで真っ赤になって、だんだんと俯き加減になっていることは秘密です...。もっともっと精進しなければなりません(汗)