1999年11月1日
「自分はテクニカル(マニュアル)ライターだからDTPや電子マニュアルはやらない(興味ない)」などという寝言を言っている人が、まだまだ多いようです。一体何を考えているのでしょうか?
というわけで、今回は同業の方々に喧嘩を売らせていただきます(笑)心当たりのある方の、異論/反論もお待ちしております。
マニュアル制作者に要求されるスキルを分析してみると、要求されるスキル全体に占めるライティング能力の割合は、以前と比較してかなり小さくなっているといって良いでしょう。そのため、ライティング能力によほど優劣がない限り、基本的にライティングではそれほど差はつきません。
それは何故かというと、長文主体の、文章中心で説明するという説明手法の限界がはっきりしたため、説明手法の転換が必要とされているからです。この手法はライティング能力を要求する割に、ユーザーからの受けが悪いものでした。受けが悪いというだけでなく、かえって積極的なマニュアル嫌いを増やしてしまった元凶でもあります。従って、手法自体が(製品に付属するマニュアル類では特に)もはや風前の灯火状態と言えるでしょう。
現在では「長文を排して、短い手順/結果文を中心に、細かいタスク単位でマニュアルを構成していく」という手法が一般化しました。この手法のひとつの特徴として、わかりにくい表現をすること自体が困難であるという性質があります。つまり単文/短文中心に構成することで、難解で誤解を招く余地のある長文そのものを減らすという効果がある、ということです(それでも無茶な文章を書く人も中にはいますが、そのかたはきっと「別の才能」の持ち主なのでしょう . . . )。
この手法では絶対的なライティング能力云々よりも、後述するような別の能力が重要視されることになります。この認識はマニュアル業界全体の共通のものであると当研究所では考えていたのですが、どうもそうではないようです。特に世の中の自称テクニカル(マニュアル)ライターの方々の中には、まだまだ文章や言葉の表現そのものに自らの存在価値を見いだしている人が多いようなのですが . . . 。
「ライティング」に固執する方々が唱えることの多い文章表現重視主義には、かなり違和感を覚えます。わかりやすさの基本は文章表現にあることは確かですし、技術解説や機能概要説明、導入文など、ライティング能力が必要とされる部分が残っていることもまた確かです。
しかし、この種の人達が唱えることは、「わかりやすいマニュアルを作るためには、文章表現技術に長けた我々テクニカルライターが必要なのだ」ということに過ぎません。わかりやすいマニュアルを制作するためのポイントが文章表現技法に置かれているように聞こえますが、このような考えかたは果たして適切と言えるのでしょうか? どうもマニュアル制作の中心にあるべき能力/スキルを全く読み違えているように感じます。
それではどのような能力が必要なのでしょうか?
当研究所は、マニュアル業界において、ライターという職種/職能分類はもはや無意味であると考えています(デザイナーに関しては、やはりAD=Art Directorは必要でしょう)。ユーザーから見ても、マニュアル業界に現在求められるものはライティングだけに精通した人間ではなく、マニュアル制作に必要な要素に関する幅広い知見を持った、プロのマニュアル制作者ではないでしょうか。
そのために必要な能力とは、ユーザーの視点に立って目的ごとに必要な情報をまとめていくという情報構築能力であり、必要な情報をどうやって見せるか(構成やデザイン)、どういう手段で情報を提供するか(紙/電子マニュアルの提供手段の切り分けや、配布形態の最適化)を判断する能力です。そのためには認知科学の最新の知見に接する努力もしなければなりませんし、最新の制作ツールや制作関連技術の動向にも注意を払う必要が出てきます。たとえ広く浅くになってしまおうとも、各種情報を受信するためのアンテナは、高く高く張っておく必要があります。
しかし、ざっとマニュアル業界を見渡してみると、メーカー/制作会社を問わず、この辺の問題に対する嗅覚や危機感が欠落している人のほうがはるかに多いようです。どうも「ライターが文章を書き、デザイナーがデザイン指定をする」という写植時代の職業意識とワークフローを、無意味/無批判に引きずっている人が多いように思えます(一応断っておきますが、かなり優秀な人がいることも確かです)。
しかし現在にあっては、ライティングのスキルは、マニュアル制作者が本来兼ね備えているべき単なるコアスキルのひとつに過ぎないのではないでしょうか。プロのマニュアル制作者(会社)であるならば、「コアスキルの周辺にどういうスキルを組み合わせて、自分のウリ(付加価値)を創っていくか」という作業が本来必要とされるべきでしょう。
要するに、ライティング能力というのは運動選手でいうところの基礎運動能力に過ぎません。単なるコアスキルにすぎない単一職能だけで食っていこうと考えるのは、甘すぎると言えるでしょう。「簡単なHTMLを覚えたから、今日から私もWebデザイナー(^^)」という訳には行かないことと同じです(特にSOHOおよび小規模事業者の皆様、よろしくお願いしますね)。
だいたいマニュアルが見出しごとに部品(コンポーネント)化されて制作されるようになってきた現在、新規でライティングを行うことはかなり少なくなっているはずです。また、DTPによるページアップデータまでの一括制作を要請されるのも当然のことですから、たとえ自らをライターと呼称するにしても、ライティング専従で済むはずがないことは自明です。まあぶっちゃけた話、「既存のスキルで対応できる仕事しかしたくない」という意識の人はマニュアル業界から足を洗ってくださいということです。それは結局ユーザー不在の甘えの論理に他ならず、ユーザーと同じ方向を向いているべきマニュアル制作者の態度として、相応しくありません。
しかしこうした現実に目をつぶり、有名無実のライティングスキルとテクニカルライターという肩書きにすがる、旧態依然としたマニュアルライターの何と多いことか。そのような態度がまかり通る現状が、現状のマニュアル業界の甘さを示していると言えばそれまでなのですが . . . 。「マニュアル業界出身の人間は使えない奴が多い」という世の中の認識を何とかしたいところなのですが、なかなか難しいのでしょうね。
いかがでしたか? 本来「情報大工のひとりごと」で少しずつ連載しようかと考えていたテーマだったのですが、話が大きくなってしまったので、研究発表の番外編としてまとめてみました。
まあこの問題についてはいろいろと考えかたがあることは十分承知していますが、それでもあえて爆弾(笑)を投げつけさせてもらったというところでしょうか。この爆弾を無視するも良し、心の中でじっくり消化するも良し、受け取る皆様に全面的にお任せします。 . . . 競合他社が減るだけなので、当研究所としては全く問題ありません。どうぞご自由に(笑)