2000年10月10日
最近「〜経験」「〜体験」というようなキャッチコピーが多くなってきたように思えませんか? ユーザーインターフェースの分野でも、ユーザー体験(User Experience)という言葉が多く聞かれるようになりました。今回はこのユーザー体験という概念が指しているもの、そして各種マニュアルやWebサイトなどのコンテンツにおけるユーザー体験とは何かということについて、考えてみたいと思います。
前述したように、最近これらの言葉が氾濫しているように思えます。例えばamazon.com体験、スターバックス体験、(一般的な意味で)Web体験。Microsoftが.NET構想を発表したときは、今までのWindowsでUser Interfaceとして語られていたレイヤーがUser Experienceに置き換えられていましたし、Appleは以前からUser Experienceという言葉を使用しています。
では、これらの企業がExperience(経験)という言葉で語ろうとしているものは、一体どのような価値なのでしょうか? 「プレジデント」誌に掲載されたamazon.comのCEOのインタビューから、核になる部分を引用してみましょう。
(「アマゾン・コム経験とはどういう意味ですか?」という質問に答えて)顧客がアマゾン・コムの品物を買う過程のすべてです。顧客がアマゾン・コムという名を知るときから「アマゾン・コム経験」は始まっているのです。当然ウェブサイトを見る経験も含まれます。
ウェブサイトは使いやすいか、欲しいものはすぐ見つかるか、在庫はあるのか . . . こういった一つひとつが顧客の経験の一部となります。われわれはこの一つひとつに満足してもらうために、過剰なほど気を配らなくてはなりません。「プレジデント」(2000.8/14号)
ここで注目すべきは、過程のすべてという考えかたが登場していることでしょう。それでは過程とは何を指しているのか?ですが、ユーザー体験というものをビジネスの面から捉えた書籍を参考に検討してみましょう。
『経験経済 エクスペリエンス・エコノミー』B.J.パインII、J.H.ギルモア著、流通科学大学出版、ISBN 4-947746-02-5)という書籍が、そのものズバリユーザー体験というものの価値について言及しており、「経験というものは原材料、製品、サービスというそれぞれの商品(販売可能な価値)に続く、第四の価値として捉えるべきである」というように著者は主張しています。「そんな無茶な」と思わないわけでもないですが、とりあえず置いておきましょう(苦笑)。
本書では経験を商品たらしめるための軸として、顧客参加度と顧客と経験の関係性(状況性)という2つの軸を提唱し、それら2つの軸の関係から娯楽、教育、脱日常、審美という4つの領域を、経験が最大の価値を発揮しうる領域として挙げています(詳しくはお買い上げの上、熟読をお勧めします)。
しかし、ポイントは別の部分にあります。それは、これらの価値を提供するための「場」をどうデザインするかによって、経験という価値の品質が変わってくるということです。振り返って考えてみると、先のAmazon.comのCEOインタビューにも登場した「過程」と、ここで取り上げられている「場」とは同じものではないのでしょうか。
つまりそれは、対象物とともに過ごす時間や空間(つまり「場」)のデザインが要求されるということです。従って製品やサービスだけの企画ではなく、その商品とユーザーがどう関わり合うのか、どういう体験を共有していくのかというところまでを含めたデザインが要求されている、ということになります。ですが、より高品質な経験のために過程(プロセス)のデザインが要求されるということは、現在主流を占めている「できればいい、動けばいい」という思想が問題を抱えているということに他なりません。
それはそうです。「できればいい、動けばいい」の先には、コストだけが指標となるコモディティの世界しかないのですから。
このままユーザー体験という概念自体を探求していくと収拾がつかなくなりますので、当研究所の専門である、コンテンツとユーザー体験の関わりについて考えてみましょう。
マニュアルを含む参照系の情報に関しては、まずメーカーがユーザーに伝達「しなければならない」情報というものが確固として存在するため、まず情報の伝達の確実性や伝達効率が問題とされます。しかしこのレベルに留まっている限りは、「理解できればいい」「伝達できればいい」というタスク達成型の消極的な品質しか確保することしかできず、他社と差別化することもできません。そのため、このレベルの品質だけではユーザーのエモーショナルな部分に踏み込めない(心の琴線に触れる情報提供ができない)ため、コンテンツを閲覧/利用するユーザーに高品質なユーザー体験を提供できず、結果として製品やブランドに対する信頼感を醸成できない、というのが現在の状況ではないでしょうか。
様々な制作ノウハウが一般化するにつれて、コンテンツにおけるインストラクションやインタラクションの品質はある程度平均化されてきています。したがって、横並びを破るためにはタスク達成型の思考形態から離れ、ユーザー体験という価値を重視することが必要とされてきているのではないでしょうか。これは、コンテンツそれ自体にユーザーが積極的な価値を見いだすことの少ない、(ある程度の甘えの許される)マニュアル業界ではそれほど重要な問題として捉えていないかもしれませんが、コンテンツそれ自体が評価の対象となるWeb制作業界では切実な問題となるでしょう。
それではコンテンツにおけるユーザー体験とは、何を指標にして考えるべきなのでしょうか。
例えば、電子マニュアルの品質を評価するための評価軸としては「わかりやすい」「探しやすい」「使いやすい」などといったものが考えられますが、これらの指標は上述の「できればいい、動けばいい」というタスク達成型の指標として機能するものと考えられます。あらかじめユーザーの目的や行動の想定が可能な情報提供型のコンテンツであれば良いのですが、コミュニティ型のWebサイトのようにユーザーの目的/行動そのものが自由なコンテンツではどうでしょうか。こうしたコンテンツでは、タスク達成型の指標を重視するだけでは、本質的な価値を保持することはできないでしょう。こういった問題を解決するには、既存の指標だけでなくユーザー体験という指標を導入する必要があるように思えます。
それではユーザー体験の品質を示す評価軸をひとことで言い表す場合、どのようなキーワードが適当でしょう?
基本的な考えかたとしては、ユーザーがそのコンテンツと共に過ごす時間が有意義なものと感じられることを示す言葉があれば良いのですが、やはり一言で表現するのは難しそうです。先に紹介した『経験経済』の中で4つの領域が取り上げられていたことを考えても、包括的にカバーしうる言葉ではなく、それぞれの領域を的確に指し示すキーワードをこれから発見していかなければならないのかもしれません。
ただ現段階でも、一つだけはっきりしていることがあります。それは「感性に訴える体験=楽しい、エンタテイメント」という安易な公式は成立しないであろうということです。エンタテイメントに限らず、これ見よがしの過剰な演出は、ユーザーの心を揺さぶることはできません。人それぞれの感じかたも考慮に入れたユーザー体験を提供できるコンテンツを設計することこそ、これからの課題と言えるのではないでしょうか。高品質なユーザー体験につながる、効果的なパーソナライズ/カスタマイズについても研究していかなければなりませんね。
いかがでしたか? 少し中途半端な終わりかたと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、「課題は提示したので後は自分なりに考えよう」というのが今回のスタンスです。
ところで、今回いきなりユーザー体験という言葉がでてきて驚かれた方もいらっしゃるかと思いますが、これには実は理由があります。それは次回の研究発表として予定しているTCシンポジウムでの発表内容が、思いっきりユーザー体験という概念を前提としているからなのです。「やはり先にやっておかなければいけないかな」ということで、今回はいきなりということにさせていただきました。