テクニカルコミュニケーション領域の教育ネタは時々火が付いたりするものの、公開ドキュメントが少なく議論が拡がらないという問題を抱えています。そこで今回は、2010年のTCシンポジウムで発表した「大学におけるTC教育事例と課題 〜制作現場における教育の観点から〜」(スライド資料)の発表論文を、研究発表として公開します。
論文趣旨は「専修大学におけるマニュアルライティング講義について、学生のスキル獲得上の課題と共に講義内容を紹介する。これらの課題は企業におけるマニュアル制作現場においても同様であり、問題解決の方法について提案する」というものです。テキストは2010年発表時の内容そのまま(文字修飾についてはWeb公開版のみ)になりますが、2013年現在でも講義内容について細かいアップデートおよび講義回数の増加に伴う調整はしているものの、講義の基本方針や進めかたはほぼ同様になります(参考:2013年版の講義資料およびシラバス)。
専修大学ネットワーク情報学部とは、経営学部情報管理学科を改組(2001年)して設置された、「情報」に対する学問領域を網羅する、総合的な情報学部である。母体となった経営情報系以外にも、情報システムやクリエイティブデザインに関連する履修コース・専門科目を開講している。
テクニカルコミュニケーションと親和性の高いクリエイティブデザインの領域においては、グラフィックデザインやインタラクティブデザイン、情報デザインなどを中核に、各種の演習科目を開講している。
日本の大学で開講されている独立科目としては珍しい「マニュアルライティング」講義は、以前より専門科目として開講されてきた。筆者の担当以前は、企業内情報システムを想定した大規模マニュアルの作成計画と実践を中心に取り扱っていたが、筆者担当後の2007年度より、ユーザー中心の情報設計という観点を中心とした現行内容に転換している。
現在の「マニュアルライティング」講義の目的は、シラバス記載事項を抜粋すると「文書を用いて他人に情報を伝えるために必要な考えかた・表現方法の基礎を、マニュアルという題材を利用して習得する」こととしている。つまり狭義のマニュアルライティング・テクニカルライティング技術を習得するのではなく、これらを俯瞰した「ユーザー中心の情報設計の方法・プロセス」について学ぶことを目的としている。狭義のTC技術は直接の応用がしにくく、学生にとって身近に感じられる性質のものではないことは事実である。以後の学生生活や就職活動、就職後の社会人生活など、様々なシーンにおいて実践的な表現技能が求められる現状を踏まえても、この方向が適切であろう。
前述の通り、本講義は「ユーザー中心の情報設計の方法・プロセス」を重視するため、基本的な日本語表現についてはほとんど触れることはない。「どのような表現で伝えるべきか」という日本語表現技能ではなく、「何をどのような枠組で伝えるべきか」という情報設計技能を優先している。そのために必要な観点として「目的(ビジネスゴールとユーザーゴール)」「コンテクスト(利用シーン)」「特定の状況においてユーザーの求める情報は何か」「枠組構築」というポイントを反復して、状況に合わせて学生が応用できるようにすることが、講義上の実現目標となっている。レポート課題を出題する場合でも、単純に「〜せよ」と課題を提示するのではなく、「何故そのように考えたのか?」という背景ロジックを明文化することを合わせて求めるなど、できうる限りの思考の深掘りを要求した出題としている。
なお、本講義は半期の専門科目(一部コースの必修科目)と位置づけられており、受講者数は毎年100名前後となっている。講義方法としては座学が主体ではあるが、講義ごとに作業課題を課し、レポート課題とグループ実習を併用することで、学習効果増大への工夫を試行している(後述)。具体的な講義進行や講義資料については、シラバスや講義サポートページを参照されたい。
単調な座学形式による講義の飽きを回避し、学習効果と学生のモチベーション向上を意図して、作業課題・レポート課題・グループ実習という学生が手を動かす時間を用意している。
各講義中で出題する、作業時間10〜15分程度のミニ課題(全13回=講義数)。講義中で触れた内容のフォローを目的とする場合や、次に触れる内容への導入を意図する場合など、使用方法は講義ごとに異なる。
作業課題の例:
(採点の都合もあるため)成果物がA4用紙1〜2枚程度で収まる分量の課題(全4回)。PCを使用した作業や、作業課題程度の時間では対応できない、多少「重め」の思考・作業を要する課題を出題している。
レポート課題の例:
学生を5〜6人程度の小グループに分割して、グループ単位で作業に取り組ませる課題(全4回)。学習効果を高めるため、「先にレポート課題として出題してから、当該題目についてグループで検討」「グループ実習で検討後、当該題目についてレポート作成」のように、レポート課題とセットにして利用する。
グループ実習課題の例:
各課題のフォローアップとしては、全タイプについて作業後の講評を行っている。また、レポート課題については講評と個別指摘コメントを併用することで、「出題された課題をこなしただけ」感を与えないように配慮している。なお、グループ実習については、当該回の作業課題として「自分の考えと違った点」「新たに気付いた点」など実習の感想を文章として要求することで、自分の気付きを明文化・意識化することを意図している。
軽い問題から取り上げると、学生のモチベーション管理や大人数相手の講義運営、という大学講義特有の難しさがある。また、学生のリテラシーや保有スキルの問題で、実際はPCを利用した作業と関連の深い分野でありながらPC使用前提の講義とすることが難しい、という技術的な問題も存在する。
しかし実際に一番大きな問題とは、学生に対する課題設定が非常に難しいことである。教員の立場からすると、課題の目的と学生に要求するタスク(および実際に学生が保持するスキル)、作業時間のバランスを取ることが非常に難しい。それに加え、様々なバックボーンを持つ講義参加者がある程度興味を持って主体的に取り組むことができるようにするためには、「参加者すべてが共通して最低限の理解を持つ対象」を選定する必要がある(自社製品を課題の対象にできる企業内研修とは、この点で決定的に異なる)。
また、課題出題時にどの程度まで出題意図や評価ポイントを開示するのか?も難しい問題である。これまでの数年間の講義担当経験を総合すると、これらの情報を詳細まで開示した場合と課題の大枠のみを提示した場合とでは、前者の方が最終成果物の品質が高いのが通例である。つまり「どのようにしなければならないのか」が明確である状況においては、学生であってもある程度質の高いアウトプットを出すことができる。しかしそれを伏せた状況では成果物の質が極端に下がる傾向があり、これは自力で問題解決のためのフレームワークを形成する能力が不足していることが原因と考えられる(ただし成績上位層については、質の変動はそれほど極端ではないことに留意する必要がある。また、この点を強化するために本講義では「枠組構築」をはじめとした重要ポイントを反復することを心掛けている)。
ここで大学の講義から、企業におけるマニュアル制作部門が抱える問題に目を転じてみたい。実はここまで見てきた大学の講義における課題・問題点は、マニュアル制作部門が恒常的に抱えている問題、特に研修における課題設定の困難とフレームワーク形成能力の欠如、という点で共通することに注意が必要である。特に後者については、「情報の提供枠組(企画構成)は所与であることが前提となっている(指示待ち)」「細かい修正作業はできるが企画構成を考えるのが苦手」「仕様書が読めない」といった形で問題が顕在化している。そしてこれらの問題を研修やOJTでどのように改善していくのかを検討していくと、より効果的な研修を実施するためには前者の問題に対処しなければならないことに気付く、というのが実情である。
これらの問題を解決ないし改善するためには、大学における講義経験から得られた知見も活用できると筆者は考えている。学生からのフィードバックを参考にすると、これらの問題に対する有効な方策として例えば、同一課題による相互批評や、日常的に扱う製品領域とは全く異なった領域の課題設定、という案が考えられる。
同一課題の成果物に対する相互批評により、独善的・一面的な見方を解消できるだけでなく、新たな気付きが得られる。ただしこのタイプの研修を導入する場合、相互批評する構成員が同一社内限定であれば、同質の発想制約がかかりがちになることに注意が必要である。そのため、講師が多様な視点を提供できるようにすること、または複数社が同時参加する場を用意することが重要になってくる。
また、日常的に扱う製品領域とは全く異なった領域の課題を扱うようにすることで、ゼロベースのフレームワーク構築能力を養うことができる。このタイプの研修では、「全く別領域の課題解決のために自ら形成したフレームワークや問題解決へのアプローチが、日常業務においても同様に利用可能であること」すなわち「問題解決手法の観点においては、生活者としての日常生活空間とビジネスパーソンとしての業務空間を切り離して考えるべきではないこと」を参加者に自覚させることが、何よりも重要になってくる。
ここまで見てきたように、大学における教育上の課題と企業における研修上の課題は、程度の差こそあれ、本質的には近似のものであると考えられる。そのため、今後は我が国のテクニカルコミュニケーションに関わる人材育成上のポイントとして、学術界・産業界を越えて連携を模索していくべきであろう。一例として、教育プロセスの公開・共有、企業研修や各大学間における講義・研修課題のオープン化・共有化などが考えられる。
いずれにしても、我が国のテクニカルコミュニケーションに関わる人材の層の薄さに留意するのであれば「オープン化・共有化するべきかどうか」の時期はとうに過ぎ、「どのようにオープン化・共有化するべきか」が検討されるべき時期に来ていることは明らかである。この時期にTC協会が主導して「TC専門教育カリキュラム・ガイドライン」の作成が進行していることは幸いではあるが、これが表面的なガイドラインに留まらず、学術界・産業界のノウハウを結集して、実のある教育プロセス・方法論・ツールの共有に至ることを期待したい。
いかがでしたか?
こんな感じでまとめて発表したのですが、(TCシンポジウムに留まらず)同じような発表が会場内限定や論文掲載誌のみなどではなく、広く一般公開されるようになって欲しいものです。誰でもアクセスできる、公開されたドキュメントなしには議論の地平が拡がりませんし、近隣分野との交流も進みません。制作プロセスやノウハウの交流が秘密保持契約(NDA)の壁に阻まれて進まないのはやむを得ないにしても、人材の底上げのためにできることはまだまだあるはずだと思うんですよね...。
「うちのところはこうやってるよ!」「この部分について詳しく聞きたい!」「ああ、その辺どこも苦労してるよねー」などご意見ご感想などありましたら、お気軽にお寄せください!