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マニュアル文化の本質とは



職人芸とマニュアル____見出し罫線____

12/23付けの朝日新聞「雇用破壊 − リストラの現場で(4)」に気になる記事がありました。「職人芸を持つ、熟練した職人達を安易に解雇してしまうと、いざ職人芸が必要になった場面でどうすることもできなくなる。マニュアルでは職人芸を埋めることはできない」というような話です。
話の筋としてはだいたい同感なのですが、あいかわらずマスコミがマニュアルの本質を捉えていないのが気になります。

マニュアルの本質は、職人芸に頼らずとも、ある程度の訓練でほぼ同レベルの業務(操作)を行うことができるようにすることにあります。つまり、職人芸というノウハウを言語化し、ユーザーに伝達可能な形に実体化したものがマニュアルなのです。マニュアルが存在しても、それが実際の業務の役に立たないのであるならば、それはマニュアルの形を取っているだけで、マニュアルとして機能していないということに他なりません。

この場合、言語化するための能力の不足(人材の問題)か、実際の業務が必要以上に煩雑で非論理的なため、マニュアル化してもユーザーが混乱してしまう(対象の問題)という、いずれかの問題を抱えていることは明らかです。
前者の問題は言語化するための能力を鍛えるか、そうした能力を持つ別の人材を担当にすれば解決できるでしょうし、後者であれば業務フローをマニュアル化に適した形に改善/効率化することで解決可能です。いずれにしても、言語化できない職人芸に依存しているようでは、業務フローとして問題があることが多いのではないかと思います。
確かに職人芸は重要ですし、職人芸が要求される職種があることも事実です。しかし、言語化するための能力の不足を、職人芸や無形のノウハウという言葉で覆い隠している例が、世の中にあまりにも多すぎやしませんか? (1999.12.27)




マニュアル文化を否定するだけでなく . . . ____見出し罫線____

「マニュアル人間」「マニュアル主義」というようにマニュアルに対して否定的な声ばかり聞く今日この頃ですが、何か根本的な勘違いがあるように思われます。
以前にも主張したように、マニュアルの本質はノウハウなどの言語化されない知識を言語化し、伝達可能な形に変換することにあります(ちなみに、こうした言語化されない知識のことを、最近流行のKnowledge Managementの業界では暗黙知と呼んでいるようです)。
つまり、よく言われるような「マニュアル本至上主義」や「マニュアル人間」などといった問題と、ノウハウなどを広く社会的に共有するためのものであるというマニュアルの本質は、そもそもまったく別の次元の話なのです。

確かに言語化され、ルールとして実体化したマニュアルに機械のように従う人間が増える一方である、という現実に苛立つ気持ちも理解できないわけではありません。進行する管理社会化に対する憂慮も理解できます。
しかしその一方で、マニュアルによって共有されるべき知識が幅広く共有され、さまざま分野で効率の良い作業をもたらしていることもまた事実です。業務マニュアルの存在しない職場で新入社員に業務内容を一から説明することの困難を考えれば、マニュアルの存在価値は容易に想像できるかと思います(まあマニュアルを超えた仕事をして欲しい、ということも当然ですが)。
また、マニュアル文化を推進することで生まれるメリットには、次のような決定的なものもあります。現実世界の事象をマニュアル化するためには、現状を批判的に観察し、問題点を整理して指摘し、具体的でわかりやすい説明/改善案を提示できる能力が必要です。ところでこういった能力を持つ人材こそ、これからの日本社会に必要になっているのではありませんか? それにこういった人材を生み出すための教育がなされるのであるならば、いわゆる「マニュアル人間」も激減するのではないですか?

頭ごなしにマニュアル文化を否定するのではなく、マニュアルとはそもそも何なのか? マニュアル文化の本質はどこにあるのか? を踏まえた論評がもっと増えることに期待したいと思います。(2000.01.13)



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