雑感いろいろ(書庫)(7)
80点主義を乗り越えろ
マニュアルの質を評価する内部基準を持っていない組織は、ユーザーからのフィードバックを評価としてそのまま受け入れる傾向にあるようです。もちろんマニュアル制作やWebサイト構築のようなコミュニケーションを根底とする業務において、フィードバックの価値は何物にも代え難いものがあります。ですが、フィードバックがどのような経緯で、どのようなユーザーから、どれほど発生しているのか審査せずにそのまま受け入れてしまうことほど無駄なことはありません。フィードバックを重要視することと、フィードバックをそのまま受け入れることはまったく異なるのです。
全方向からのフィードバックをそのまま受け入れるモノ作りは、個性を殺す方向に進みます。いわゆる80点主義という考え方で、マニュアルのような特定層のユーザーに限定しないことが求められる情報提供には、必然的に付随するものです。しかし、そろそろこの80点主義から脱却して、顔の見えるユーザーに対して満点を付けてもらえるような方向に向かうべきではないでしょうか。フィードバックに対して、「それは違う」と言わなければならないときは、はっきりそのように言うべきなのです。これはマニュアルだけの問題ではなく、最近のモノ作り全般にも言えることです。
現在の消費不況の理由はいろいろありますが、どこを見ても無個性な80点主義商品があふれかえっている状況も一役買っているものと思われます。メーカーの企画担当者として、大当たりか大ハズレのどちらかしかない博打を打ちたくないことはわかります。過去の商品でのフィードバックをまじめに反映して、より欠点の少ない商品に仕上げたいというのもわかります。サポートコストも低減できるでしょうし。ですが、そのようなモノ作りが魅力ある商品につながらないのでは、まったく意味がないのです。そろいもそろって同じ市場に同じような製品を投入して、売れ行きが悪いなんて言っているようでは世話はありません。
NECがPC事業に関してシェア重視よりもリピート購入(率)重視に重点を移していくという報道がありましたが、これも同じ次元の話でしょう。これは広く浅くよりも、多少狭くても、より深くユーザーとのコミュニケーションを取っていこうとする意思表明に他なりません。そうすると自分たちだけが提供できる価値とは何か?というメーカーの根本問題に立ち返らざるを得なくなりますし、自分たちの哲学とユーザーからのフィードバックを、より高い次元でバランスを取るための能力も要求されます。この辺の対策も含めて、脱80点主義を目指すNECの挑戦を見守りたいと思います。(2001.09.25)
マニュアル制作者のレベル低下を憂う
いや、低下するほど元は高かったのか?という話は置いておきますが。
お付き合いのある制作会社の方と話していたところ、「仕様書を解釈して、まともな構成をイチから起こせる制作者が最近少ないんですよ」というような話になりました。比較的大きい制作会社さんは大方の案件を内部で制作できるのですが、やはりオーバーフローしたり手持ちのリソースではカバーできない場合なども発生することがあるわけで、そういう場合には外注することになります。前者のように単純なオーバーフローのような場合は問題が少ないのですが、後者のようにある程度のレベルを求められる場合が問題のようです。
家電製品もデジタル化が進む一方ですから、AV(オーディオ・ビジュアル)だけでなくコンピュータやネットワーク絡みの内容まで押さえておかないと、まともなマニュアルを制作することが困難になってきています。メーカーのマニュアル担当者レベルでさえ脱落しかかっている方が多い状況ですから、実力のあるマニュアル制作者であれば、内容的な面に関してもイニシアチブを取ることが十分可能になってきています(実際にはそのレベルの人材はほとんどいないようですが)。また、内容理解という面だけでなく、製品の開発期間の短縮による制作工程の負荷増大にも耐えられる制作パワーも必要になってきますので、マニュアル制作者に求められる能力はますます厳しくなってきていると言えるでしょう。
それでは実際のマニュアル制作者はどうなのでしょう。これが実は、呆れるほど意識レベルが低いのです。不景気だから仕事が少なくなっているとか、ツールの使いこなしとか、言葉の意味がどうだとか、あいかわらずその程度のレベルの話でしか盛り上がれない。工程意識は皆無。ユーザー志向といいながら昔の方法論から脱却できず、相変わらずユーザータスクベースで情報を構成できない。最新技術動向に対する不感症。これではお話しになりません。以前ここでも苦言を呈したことがありますが、あれから状況はますます悪化しているように思えます。技術が高度化/複雑化する中でTCに関わる人材の重要性は高まるはずなのに、こんなレベルで一体どうしようというのでしょう?
紙媒体をはじめとする、従来形式のマニュアルの限界を見限ってWebサイト関連に転身しようとしているところも多いようですが、上記のような問題を抱えたままで転身できるほど甘くはありません。特に情報構造デザインにも注目が集まっている現在、説得力のあるポリシーでもって、コンテクストに応じて情報を構成する能力なしに、他業界から転身する意味がどれだけあるものやら。もちろん最終的に発生する文章のリライトレベルの仕事だけしていくということであればそれでも良いのですが、それって何か違うんじゃない?と思う今日この頃でございます(週明け早々、ネガティブな話題で失礼いたしました)。(2001.11.05)
規格に対する信頼が失われるとき
昨年末に報道されて一部で大騒ぎとなっているのが、不正コピー防止を目的とした音楽CDに対するプロテクトの実施がレコード会社で予定されているというニュースです。
どうも音楽CDに物理的に?何らかの対処を行うことで、パソコンのドライブにマウントできないような方法を採用するということなのですが、実はそれだけでは済まない重大な問題が隠されています。つまり、パソコンのドライブにマウントできなくなるだけならともかくとして、既存のCDプレーヤーでも再生できなくなるような場合が想定されるようです。おまけに、レコード会社側が音楽CD販売時にプロテクトの有無を明記するかどうか、そして再生不可の場合に返品できるかどうかも曖昧のようです。従って、購入した音楽CDが自分のCDプレーヤーで再生できずに、かつ返品も認められないという事態も想定されます。プロテクトの有無と自分のCDプレーヤーの再生互換性を事前に確認できない以上、新しい音楽CDを購入することは博打と同じことになります。
もちろんこのようなプロテクトを採用せざるを得ないレコード業界側の事情も分かります。著作権に対する配慮が重要であることももちろんです。ネットを介したデジタルデータの流通だけでの問題でなく、中古販売や再販制度と絡めた包括的な対策が必要とされることは言うまでもありません(まあそろそろビジネス手法からして、抜本的な再検討が必要なのでしょうけれども)。
ですが、この問題の本質は、安定した規格としてユーザーの信頼を得ているものですら業界の都合で勝手に変更してしまい、お客様としてのユーザーの利益を保護しようという考えが微塵もない、作り手側の体質にあるのではないでしょうか。記録型DVDの各種規格やテープメディアのデジタルビデオ規格の濫造に顕著ですが、規格と(記録・再生)メディアに対するメーカーの意識の低さは最近目に余ります。ユーザーが安心して製品を購入できないという状況を自ら招いておいて、消費不況を叫ばれても困るのです(メーカー主導ではないとは言え、地上波デジタル放送を巡る不鮮明な動きも同じことでしょう)。規格商売でユーザーの信頼を失うことがあれば、メーカーの存在意義はどこにあるというのでしょうか。
どうしてもこの方法でプロテクトを進めるということであれば、レコード会社がパッケージにプロテクトの有無を明記することと、CDプレーヤーの製造メーカーが既存機種との互換性情報を公開する程度の対策は必須になるでしょう。レコード業界とCDプレーヤーの製造メーカーの対応を見守りたいところです。(2002.01.07)
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