1996年12月9日
前回でお話しした、『これならわかる パソコンが動く』というマニュアルを入手できましたので、今回は具体的な内容について触れてみたいと思います。
接続、セットアップ、ワープロ、インターネット、パソコン通信といった順序で、ユーザーに「ひととおり使えた」という満足感を与えるものとなっています。ワープロの例文などは、海老沢泰久氏による昭和57年の日本シリーズの記録が採用されています。「では、『太郎と花子』と打ってみましょう。」などとユーザーのやる気を失わせる例文に比べれば、打ち込んでみる気にもなるものです。
このように、内容については注目すべき点も多々あります。ただ「全体的にどうか?」と聞かれるならば、正直言って「. . . .」です。新聞社に騙されてしまったようです。
このマニュアルの持つ問題は、以下の2点に絞られます。
これは、このマニュアルが挑んだ縦組みレイアウトが失敗している、というわけではありません。単に読みにくいのです。岩波文庫の哲学書の方が(内容はともかく)読みやすいです。
なぜでしょうか?それは、(高齢者の初心者を対象としているためか)本文のポイントを上げているにも関わらず、行間を充分に取っていないためであると思われます。また、もともとのレイアウトに問題があるのかもしれません。
情報を詰め込もうとしたのでしょうか?せっかく高齢者・初心者対象のマニュアルを別冊にするという英断を下しても、読みにくくてはなんのメリットもありません。
失敗したときのフォローが少ないとは、「つい間違って」別のキーを押してしまったとき、どう説明手順に復帰させてあげるかというフォローが少ない、ということを意味します。
暴論を言わせてもらえば、「フォローを考えなくて良いのなら、すぐにでも読みやすく、すっきりしていて、薄いマニュアルを作ってみせる」とすべての取説制作者が思っているはずです。
でも、それでは取扱説明書ではなくなってしまうのです。誰だって、どんなヘビーユーザーでさえも、たまたまぶつかってしまったり、飼い猫がキーボードの上に乗ってきたり(笑)という予期せぬトラブルで、説明の手順をはずれてしまうことがあるものです。ここで取説によるフォローがないと、ユーザーはそれまでの操作をすべてリセットして最初からやり直さなければなりません。
そのような不利益をユーザーに与えなくて済むように、取説制作者およびメーカーは「〜したときは」とか「〜してしまったら」というような小見出しやご注意を列挙しているのです(そうして取説はどんどん見にくく、厚く重くなるのです)。
所詮、単なる文章の専門家が書いたマニュアルには、マニュアルが備えていなければならない要素が欠落してしまっているということなのでしょう(マニュアル制作は専門技能であることを示す良い例といえるかもしれません)。
すべての操作にフォロー説明が要求されるという現状をどう改善すべきかは、当然マニュアルの書きかたとは別の問題です。ソフト(ハード)自体に、誤操作に対して正しい操作を促すような仕組みを組み込む、というのも1つの解決策ですね。
文句ばかり増えてしまいましたが、試み自体には充分な可能性があり、ここで止めてしまってはなんにもなりません。日本のパソコンのマニュアル全体を変えていくためにも、業界のリーダー・NECさんの今後の活躍に期待していきたいものです。