ラジカセのインターフェースデザイン
ラジカセが壊れたため新製品を物色したのですが、そこで気づいたことがあります。商品自体が中高生向けと中高年向けに完全に2極化していて、それ以外の年代の人に向いている商品が見当たらないのです。
最近のラジカセは . . .
中高生向けのものはオモチャのようで、とても購入する気になりません。そうかといって、これ見よがしに「中高年のユーザーの使いやすさに配慮しました」というデザインの商品も購入意欲をそそりません。
デザインで選ぶとどうしてもマイクロコンポになってしまいますが、これでは持ち運んで音楽を楽しむというわけには行きません。ポータブルCDプレーヤーはメカニズムの信頼性の面から、全く信用できないので論外です(今まで購入した2つの製品は、どちらも約半年しか持ちませんでした)。
どこでも好きなところで音楽を楽しめる商品として、CDラジカセに期待していただけに、かなり落胆することになりました。
ところで、今回CDラジカセ選びを通して気づいたことがあります。
どうして音量調節もチューナー合わせも、ボタンで操作するのでしょう? これらの操作にはダイヤルのほうがふさわしいように思えます。
内部機構(信号のデジタル処理)を、そのままユーザーの直接触れるデバイスに反映させているだけではないのでしょうか? 音量調節もチューナー合わせといった操作は、1段階上げる/下げるというデジタルな操作感をもたらす、ボタンというデバイスで行うべきものなのでしょうか?
操作と使用デバイスの関係
調整操作にあったデバイスの選択という問題はいったん横において、操作とデバイスの関係について、音量調節を例にして考えてみましょう。
最近の製品では、音量を調節するためにダイヤルやボタンを使用します。
ここで気が付くのは、ダイヤルは調整機能だけでなく、ユーザーに現在の状態を示す機能を同時に持っているということです(赤いポイントが現在の音量を示します)。つまり調整する際に、ユーザーは現状の音量がどれくらいのものなのかを、(相対的にですが)他のデバイスに頼ることなく理解できるのです。
では、ボタンを押して音量を増減させる場合はどうでしょう。
ボタン自体には現在の状態を示す機能はありませんので、別途用意されている表示デバイスを利用することになります。操作デバイスと結果表示デバイスが異なることはユーザーの負担となりますが、表示デバイスには音量以外の各種情報も集中して表示されるため、ユーザーは操作時に現在の状況をすべて理解できるという別のメリットも生じます。
表示デバイス依存の落とし穴
しかし、情報を表示デバイスに集中させることで生じる問題にも注意する必要があります。その問題とは、表示項目が増え過ぎることで煩雑になり、ユーザーへの情報伝達能力が低下することです。その結果としてメニューシステムや表示モードといった、表示切り換えシステムを導入せざるを得なくなり、「一見ですべてわかる」機能が損なわれてしまうのです。
表示デバイスとは、そのデバイスを使用しなければ伝えることのできない情報を、ユーザーに伝えるために本来使用すべきものです。情報の集中表示という発想自体に罪はありませんが、現状では安易に表示デバイスに依存した製品が多すぎます。
そろそろ表示項目や内容を絞り込んだり、それ自体が情報発信能力を持つ操作デバイスを採用するなどして、表示デバイスに頼らない情報提供の手段を再検討してみる時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
こうした点から考えてみると、とかく古くさいと思われがちなダイヤルやスイッチといった古典的(笑)デバイスも捨てたものではないように思われますが、いかがでしょうか。 (「情報大工のひとりごと」1999.02.17〜22)
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